まず保障したい、自由な表現。

前ページの『冗談じゃない。百のものはここにある。』は、イタリアの教育者ローリス・マラグッツィ*の創作。子どもは生まれながらにして多くの才能を持っているが、それを「学校の文化」はほとんど奪い去ってしまう、と嘆いています。「学校の文化」とはどういう意味でしょうか。狭義に言えば、先生が生徒に学問を教授する教育システムのことでしょうか。私はシンプルに「大人あるいは大人社会」と読み替えてみたりもします。
たとえば絵画活動での先生の関わり。子どもに一枚の画用紙とクレヨンを渡し「好きなように描いてごらん」と描かせて、子どもが紙の右下だけを使って花を描いて満足げでいると「あら、まだいっぱい白いところが残ってるよ。あいているところにお空やお日さまを描こうか」などと提案する。動物園の思い出に描いた動物が、顔はライオンで首の長さはキリンのようで胴体はアシカのようなものだったら「そんな動物いたかなー、ちょっと違わない?」などと顔をしかめる。そんな絵画製作の目標は、と言えば「自分らしくのびのびと表現しよう」や「気持ちを込めて最後まで頑張ろう」だったりするのです。
 こうした大人(教師)の関わりは「楽しまないで理解」することや「すでにあるものとして世界を発見」することを強要し、「現実とファンタジー」と「理性と夢」の共生を拒んでいるよくある光景(あっては困るのですが!)です。こうした大人の関わりは、子どもは無知である、子どもの創造性は発育途上である、教師は誤りを正す先生である、といった正義感と職業的善意から発生している場合が少なくなく、それが問題の根深さを物語っています。
 ローリス・マラグッツィは、子どもの創造性は大人と同等、大人も子どもと同じくらい無知である、子どもも大人と同じくらい成熟している、といった観点に立って子どもと対峙します。教育の主人公は、子ども>教師>親>市民であり、教師の役割は、もうひとつの見方を示すことだと言います。それは、終着点を示す「答え」ではなく、新たな道を示す「問題」への導きなのです。
 私たちが子どもの創作活動において、まず保障しなければならないのは子どもが「感じたことや考えたことを自分なりに表現して楽しむ。」(注1)こと。それを望めば、大人の価値観から出た正しさや善し悪しは列のずっと後ろのほうにいるはずなのです。子どもの発達に善し悪しが無いならば、創作活動で表現されるそれは、まさしく一人ひとりの育ちの物語そのものだと言えるのではないでしょうか。教師は、何をどのように描くかを指導するのではなく、そこに描かれているのは何かを観察し、それはなぜどのように描かれたのかを見取っていくことが重要なのです。

*ローリス・マラグッツィは1960年代後半、イタリア、レッジョ・エミリア市の幼児学校において創造性の教育を提唱し、手法として創作を用いたレッジョ・エミリア・アプローチと呼ばれる方法論を構築した。現在、日本でも一部の幼児教育者の間でこの方法論の実践研究が活発になされている。ブラジルのパウロ・クレイと並ぶ20世紀戦後最高の教育者と呼ばれている。 
(注1)
文部省公示第174号 『幼稚園教育要領』 第2章 ねらい及び内容 「表現」の項 ねらい2)




「作りたい」思いを大切に。

人が何かを作りたいと思う源泉は何なのでしょうか。幼稚園でのふだんの製作活動では、例えば「父の日だからお父さんにプレゼントを作ろう」とか「こどもの日だから鯉のぼりを作ろう」といった、季節の行事に合わせたものが中心になります。そこでのねらいは、製作を通して季節の行事を身近に感じたり、いろいろな素材に親しみ工夫することを学んだり、ハサミや糊の使い方から始まる様々な技法の習得などになります。そこでは、あらかじめ何をどう作るかは決まっており、本当の意味での創造力を育てているとは言い難いでしょう。
 2002年秋、作品展に向けて準備を開始した私たちは、それまでの作品展をふりかえり、作品展を通して本当に育てたいものについて話し合いました。そこで出た答えが、子どもたち誰もが持つ「想像力と創造力」を引き出したいということでした。
何を作るかまでも子どもたちに任せる。前年までクラスのテーマと何をどう作って展示するかまでを担任教師が一人で決めていた私たちにとって、それは大げさに言えばまったく想像もつかないほどの大きな挑戦だったのです。
 子どもたちが主体性をもって意欲的かつ持続的に創作活動に向かうためには、教師は何をやればいいのだろう。何度も話し合いが続き、とにかく子どもに「作りたい」という欲求が湧き出る仕掛けが必要だろうということになりました。それが、はまようちえん式創造性の教育手法、すなわちファンタジー仕掛けの作品展の誕生となったのです。



現実とファンタジーは、共にあり得る。

ファンタジー仕掛けの作品展は、教師がある程度骨組みを創作したおとぎ話に子どもたちを巻き込み、子どもたちが物語の主人公になって未知の物語を自ら作っていくことで完成します。製作活動はその物語を進む上で不可欠な要素のひとつで、物語には子どもたちが主体的に製作にかかれるさまざまな課題が仕組まれています。たとえばそれは、宇宙から来た○×博士からの「指令」であったり、異星から来た女の子からの「お願い」であったり、いろいろの国から来たいろいろ姫からの「疑問」だったりします。つまり、子どもたちの創作意欲の源泉を、ファンタジーという仕掛けのなかに埋め込むことによって、子どもたちは自ら調べたり考えたりアイデアを出しあったりして「作品」となるモノの製作に取り組むのです。そうしたプロセスのなかで、ときにはグループで、ときにはクラスみんなで、またときには一人で製作することによって目の前の課題をクリアしていき、結果としての創造物が残っていく。つまり「作品展当日に親に見てもらう作品を仕上げること」が重要なのではなく、子どもたちにとっては作品展までの製作プロセスで出会うわくわくどきどきの体験ー疑問・発見・驚き・不思議etc...ーが想像力と創造力の発揮を促してくれるのです。


『新はまよう通信』2004年12月発行より一部抜粋。
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