はまようちえん二十四節季


砂を補う。
2メートルの高さの石垣から、
意を決して飛び立つ。
この挑戦的で冒険的で、とりわけ危険な遊びを、
一歩間違えば大けがにもなりかねない
無邪気な子どもたちの自発的な遊びを、
はまようはなぜ容認するのか。
いわんや、他責的で管理的なこのご時世に
あってもなおかつ。
(子どもたちがそうであるように、
はまようもまた、いつも挑戦的でありたい)

この遊びを選択する子どもたちは知っています。
じぶんは何ができて、何が無理かを。
この写真の彼は、この高さから飛翔する前に、
段階を追って、飛ぶ高さを徐々に上げてきました。
自発的に、慎重に。
少なくとも彼は、
地面とじぶんへの許容力と信頼度を
自ら測りながら、
じぶんの「ゴール」に向けて
一歩ずつ可能性を拡張してきたのです。

では、こうした一見、危険で無謀な遊びを
可能にするのは何か。

はまようちえんそれは、保育者が毎日子どもたちを見て、
今この環境に、何が過剰で何が不足しているかを
問い続けているということ。

端的に言って、この遊びを可能にしているのは、
他でもない地面に厚く敷かれた砂。
衝撃を吸収し、身体を受けとめるその柔らかさを
子どもたちは知っているからこそ、
思いきり飛ぶことができるのです。

けれどその砂は、自然と「在る」ものではない。
毎日の遊びのなかで、風に飛ばされ、
湿気に締まり、掘り起こされ、蹴散らされて
少しずつ減っていく。

その変化に、どれだけの大人が気づけるかが、
問われている。

「ちょっと砂が少なくなってきた」
目視で、裸足の足裏で、
感じ取る保育者の感性に、
その遊びの可否はかかっています。

砂を補う。
それは、ただの作業ではありません。
子どもたちの「飛びたい」という気持ちを、
「やってみたい」という意志を、
見えないかたちで影で支える行為です。

子どもたちの育ちを支えるのは、
いつも目に見えないところで動く大人たち。
でも、その支えはただの安全管理ではなく、
「信頼しているよ」「受けとめる準備ができているよ」
「ほら、場は整えたよ、準備OK」という、
少しだけ子どもたちの背中を押す、
無言のメッセージなのです。

砂を補うということは、
未来への信頼を補うこと。
目に見えない危うさに、想像をめぐらすこと。
今日という日も、子どもたちにとって
思いきり挑戦できる一日であるように、
大人が、場に耳をすませ、身体を差し出すこと。

だれに気づかれなくても、
今日もまた、私たちはこつこつと砂を補う。
それは、小さな祈りにも似た行為。
「大丈夫。飛んでもいいよ。今日も砂はきみを守る」
祈りのメッセージは、きっと子どもに届くと信じて。




はまようちえん
はまようちえん
曜日 行事 降園時刻
3
17
親子学級 14:00
4 内科検診 
つよく(うみ・やま) かしこく(かぜ)
14:00
うみ・やま・かぜ
15:00
6 引き渡し訓練 14:00
11 内科検診 かしこく(そら) 14:00
そら 14:30
15 父の日ハイキング -
18 6月うまれのおたんじょうかい 14:00
19 子育てあのね 14:00
24 - 個人懇談(6月24日〜7月1日) 14:00
25 歯科検診 14:00
28 OPENDAY -

はまようちえん
曜日 行事
3 - 個人懇談(3日〜12日)
3
17
親子学級
6 引き渡し訓練
11 内科検診
19 子育てあのね
25 歯科検診
28 OPENDAY

はまようちえん
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