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ほんとうの自由はどこに?
夏休みが絶賛進行中です。子どものころ、夏休みが来ると
「自由研究」と「読書感想文」という、二つの宿題があった。
自由研究は、「何を研究するか」に自由があり、
読書感想文には、「何を選びどう書くか」に
自由があった(はずだ)。
同じ「自由」に依拠していながら、
なぜあんなにも体感が違ったのだろう。
自由研究は、たいてい楽しかった。
好きなものを追いかけて、調べて、作って、発表する。
6年になったらこんなことをしたいとか、
今年の夏はこれをしたいとか、
じぶんの中に明確な「したい」があり、
表現方法も自由自在であった。
けれど、読書感想文となると、たちまち頭を抱えた。
まず大人たちが読むべき本を指定してきた。
それらは「課題図書」と呼ばれ、
あたかも読むことが子どもとしての義務で
あるかのように迫ってきた。
そうしていくつかの候補のなかから
よりマシなものを「自由に選択」し、
原稿用紙に鉛筆の芯を泳がせた。
読みたい本や好きな本はあった。
が、夏休みにそれは読むべき本には挙げられず、
まずは課題に向きあわなければならなかった。
つまり、読書感想文が書けない、
書きたくなかったのではなく、
「なぜ好きな本ではダメなのか?」という問いに、
大人が誰ひとり答えてくれなかった。
「なぜ書かねばならないか」も同様だった。
いや正直に言うと、その問いさえも
言っても無駄とさえ感知していた。
そうして、読む自由を奪われ、書く意欲も挫かれた。
決して「書けなかった」のではなく、
「書く気になれなかった」のだ。

将来やらねばならないことに向かう
根気や粘り強さが育たないのではないか?
という最近の親たちの疑念に通じるものが
あるように思うが、読み過ぎか?
今なら、「好きなことばかりじゃダメ」論を
裏づけるものなど、見つけるほうが難しい。
「自由研究」と「読書感想文」。
学校が強いてきた二つの課題に、
子ども心に違和感を覚え、
転じて自由研究はいつも楽しく取り組み、
結果的に周囲からの評価も高かった。
翻って読書感想文文集に自作が
掲載されることはなく、その代わりに
いつも片手間に自由に描いた
空想的な挿絵は常連だった。
大人になり、幼少期に得意だった
絵を描くことでは芽が出ず、
文章を書くことで報酬が得られた(過去)。
人生わからないものである。
大人たちは子どもに、「ほらこれが自由だよ」
と差し出してくる。
しかし子どもはわかっている。
何が自由で何が不自由なのか。
たとえば水泳競技の「自由形(freestyle)」は、
文字通り「どんな泳法でもOK」という意味だ。
しかし定められた距離を最も短い時間で
泳いだ者を勝者とするルールがある以上、
歴史的にほぼ間違い無く泳法はクロール一択となる。
なんでもいいよと形式的に差し出しておきながら、
実質的には選択の余地が無い。
自由とは何?
保育の世界では、「自由遊び」という専門用語がある。
わざわざ遊びに「自由」を付ける意味はなんだろう。
では逆に、「不自由な遊び」があるのだろうか?
だとするなら、「遊び」とは何を意味するのか?
この夏、大人の自由研究として、
こんなことを考えてみるのはいかがでしょう。
あなたに有り余るほどの自由があれば。
*
この夏を、安全に楽しむためのガイド。
熱中症予防には、
糖分の多いスポーツドリンクやジュース、
清涼飲料水は飲まず、水やお茶を飲みましょう。
『熱中症予防情報サイト』 |
水辺で遊ぶときは、
大人が絶対目を離さないようにしましょう。
『河川財団 水難事故防止サイト』 |


日 | 曜日 | 行事 | 降園時刻 |
---|---|---|---|
2 | 土 | OPENDAY | - |
12〜 16 |
火〜 土 |
お盆休みのため、 1号認定児預かり保育ありません。 |
- |

日 | 曜日 | 行事 |
---|---|---|
2 | 土 | OPENDAY |

