こどもの日々。
吹く風に思わず肩をすぼめる5月1日。でもときおり顔を見せてくれるお日さまを浴びると、たちまち身体がほっこり温まり、ちいさな幸せにココロが満たされる一日でした。
本日ようちえんは『こどもの日まつり』。まあどうってことのない「行事」なのですが、ふだんよりもちょっぴりスペシャルに、朝から子どもたちの楽しめそうなあそびを先生たちが持ち出して「出血大サービス」しちゃうんです。「やあやあ、われこそはお子様である。おとなたちよ頭が高いぞよ」なーんてことは子どもたちは言いませんけどね。
「子どもの日」は別名端午の節句と呼びますね。そもそもは、子どもが健康に生育することが困難だった時代に、縁起のよい節目の日(節句)に、子が育つまでの魔除けや祝いの意味を込めた行事を行ったことが習慣化したものだという説があるようです。(もっと古くの起源もあるようです*)
今のニッポンは、「史上最も子育てが困難」な時代である、と憂う方もいらっしゃいます。それは、命をつなぐという意味ではなく、生まれてから大人になるまでの過程において、健やかに生き生きと子どもが子どもらしく育っていくことの困難さについて問うているのだと思います。
テレビやインターネットなどから浴びるように情報を受け、「知識」や「情報」を鵜呑みにし、仮想体験の海で溺れそうになりながら視界に「正解」という名の助け船が現れることを目を凝らして待つ。親も子も、そんな悪夢に取り憑かれないように必死になってもがいているような気がします。
たいせつなのは、生身の体験ではないかと思うのです。暑さ寒さを感じ、痛みを伴い、喪失や不足や理不尽さえも糧とする、魂の復元力。子どもを、快適さの檻に入れていては、その果実は得られません。子どもは、あなたではない。子どもは私ではない。子どもは子ども自身であり、子どもが生きるのは子どもの日々である。そのことを、あらためて心に刻みたいと思った2013年子どもの日なのです。
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